わたぽんの気持ち箱

紡がれる言葉たち

制度論の構図_pp.29-39

第二章 パーソンズにおける秩序問題

 盛山によれば、「組織を市場の一種として理解するかそれとも市場とは異なる組織それ自体の固有の特性を認めるかという対立」(本書、p.29)について考えるために、パーソンズの試みについて整理することが有用である。尤もそれは、パーソンズの試みが成功しているということを意味しないけれども。

 

一 功利主義的社会理論

 パーソンズは「実証主義的—功利主義的伝統」が秩序問題を解決していないとするが、本書によって注意点として、パーソンズにとっての功利主義は今日普通に理解されている功利主義と異なるという点が指摘される。そのため、あくまでパーソンズにとっての功利主義(以下「パーソンズ功利主義」と略記する。)とは何かということを、整理の前提にしなければならない。パーソンズ功利主義の特徴は、①原子論すなわち個人主義 ②合理性、すなわち行為は目的達成のための効率的な手段を選択する、という性質 ③経験主義 ④諸目的のランダム性 に分類される(本書、pp.30-33)。ここで、話は本筋から逸れるのだが、③と④を区別する意義はないのではないか、ということを指摘したい。
 ③の経験主義というのは、パーソンズにおいては、科学方法論の特性としての側面と、行為の特性としての側面をもつ。科学方法論の特性というのは、妥当な科学的知識というものは観測しうる事象のみに関する、観測し得るしうる事象に関する用語を用いた命題に限定される、とする立場を指す。このような考えは、我々が社会学として分析の対象とする行為の体系に対してのみ適用されるものではない。経験主義は、行為体系のなかのそれぞれの行為自体に対しても適用される考え方である。すなわち、「功利主義理論の中での所行為はそれ自体が科学的であり、経験主義的である」(本書、pp.30-31)。したがって、パーソンズ的経験主義によっては、行為に関する「主観的要素」を捉え得ない。
 以上を敷衍すると、次のように考えるのが自然であると思われる。すなわち、パーソンズ的経験主義の性質のみから④の諸目的のランダム性、つまり、個々の行為目的(主観的要素)が理論の内部で確定ないし規定されておらず、理論にとっては所与として扱われること(本書、p.31)が導かれる以上、③と④をあえて区別することの意義はないのではないか。
 さりとて、この点はおそらく重要ではない。①から④までで特徴づけられるようなパーソンズ功利主義が秩序問題を解決していない、というパーソンズの議論について、本書は検討してゆく。

 

二 「秩序問題」のイメージ

 

(1)論証のロジック

 ここから先は、なにがパーソンズの議論で、なにがホッブズの議論なのかということが若干分かりづらいため、注意して読んだ方がよい。パーソンズは、ホッブズの「自然状態」を「功利主義の純粋ケース」と考える。つまり、上記①から④の特徴をもつ社会である。ホッブズの説明では、自然状態においては人々が共通して「権力の獲得」を目指している。その目的の達成のために有用であると考えられる手段はいくつかあるけれども、諸個人は、他者がいつ攻撃してくるかわからないという状況の下で疑心暗鬼に駆られ、「攻撃」という手段を選択するようになる。
 一方でパーソンズにおいては、「権力powerへの限りなき闘争」は、あくまで自然状態からの帰結であって、ホッブズにおけるような「攻撃」(パーソンズの言葉では「暴力と欺瞞force and fraud」)の原因としてのものではない。
 つまり、暴力と欺瞞を諸個人が志向するということをパーソンズは所与としており、その理由を決して明らかにしていないのだが、それでは社会理論として失敗している。「ここから推察されるように、暴力と欺瞞の使用という秩序解体の状態へと社会を必然的に導く論理を立てるためには、社会の状況、すなわち、諸個人の目的、彼らの状況認知、代替選択肢の集合、等々が十分に特定化されていなければならない」(本書、p.36)。
 また、それは措くとしても、パーソンズにとって、権力への限りない闘争へと解体するようなホッブズの理論は、秩序問題の解決に失敗している。

 以上の本書pp.34-37の要約を踏まえたうえで、果たしてパーソンズは「暴力と欺瞞」の原因を説明していないのか、という点を今後の自らのリサーチ・クエスチョンとしたい。本書で引用されているパーソンズの「手段の使用、とくに暴力と欺瞞の使用の制限が欠けているところでは、事の本質上、その社会は権力powerへの限りない闘争へと解体していかざるをえない」(本書、pp.34-35)という箇所が気になる。たしかに訳を素直に読めば、「暴力と欺瞞の使用→権力への限りない闘争」としか主張していないのだと解釈するのが一般的だと思う。しかし、「していかざるをえない」は因果ではなく単に確信、つまり「暴力と欺瞞の使用の制限が欠けているならば、そのとき間違いなく権力powerへの限りない闘争を意味している」という文章である可能性もあると思う。つまり、「暴力と欺瞞の使用=権力への限りない闘争」という意味である可能性があり、そうだとすると、ホッブズの理論と大差なくなる。本書の論旨にとって重要な部分であるため、原典にあたって確認したい。

 

(2)「解決」の意味

 秩序問題を解決する/しない、ということの意味がパーソンズによって明らかにされていないということを、本書は指摘する。この点は難しくないため割愛する。